A-LIFE HOLDINGS株式会社
晃南土地株式会社
代表取締役 中澤洋一

YOICHI NAKAZAWA

宅地建物取引士/二級建築士

私たちにしかできない「街創り」を。

この街に住み・この街で仕事をしている僕たちだから、我孫子をもっと素敵な街にできるはず。そして不動産企業である僕たちにとって、「街創り」は果たすべき役割でもあるのです。

僕らの街・我孫子とは?

僕たちの会社は千葉県我孫子市の中心である我孫子駅の南口を降りてすぐ目の前にあります。そこは我孫子の象徴ともいえる「手賀沼」に向かうスタート地点。そこから続く公園坂通りを歩いて下りると、豊かな緑に囲まれキラキラと輝く水面が美しい手賀沼公園が視界に広がります。

手賀沼は、花火大会やトライアスロン、マラソンやジャパン・バード・フェスティバルなど、今や数々のイベントで賑わうリゾートでもあり、普段は湖畔をのんびりと散歩する人々の憩いの場でもあります。また手賀沼湖畔は、かつて白樺派の文豪や芸術家が移り住み、彼らに愛された歴史や文化を持ち、今もその面影を感じられる気品にあふれた静かな住環境を脈々と受け継いでいます。

僕が不動産屋になった理由とその役割

そんな我孫子の「街創り」を目指そうと思ったきっかけは、父からの何気ない一言でした。実家は代々精米店を営んでいて、僕が継いでいれば四代目。でも、コメの輸入自由化や、スーパーやホームセンターなど大規模店舗の出店拡大により、事業が下火になってきてたのです。その頃、僕自身はまだ自分の目指すところが定まっていなかったところ、親父が「このままだと米屋自体続けられるかわからないから不動産業でもできるようにしておいた方がいいかもしれない。農家さんは地主さんたちも多いし、土地の売り買いについて相談されることが多いから、力になってあげられるし」と言い出したんです。その一言で僕は実際に不動産業界に飛び込みました。そして人と関わる仕事が自分は好きなんだなと自覚していきます。

思い返せば、商店街など地域と密接に関りながら生きてきた父親の姿を、子どもながらに尊敬の眼差しで見ていました。売り買いするだけが商売ではなくて、地域のみんなで一緒に街を創っていくということも、そこで暮らす人たちの大事な役割なんだと。

100年続いてきた景観を100年後の未来も見れるように

数年前から考えてきたのが、水辺と緑に恵まれ白樺派の人々も愛でてきた、100年変わらない我孫子の景観の中で、自分たちはこの街を守り育てていくためにはどういうことができるんだろうか?ということ。そして、我孫子に関わる全ての人一緒に、我孫子でしかできない街創りをリードしていく企業となり、これからの社会で必要とされる企業創りをしていきたいと改めて思ったのです。

また親父の話に戻りますが、「自分が頑張って築いたものを、お前たちが苦労しないように残しておく」とよく言われていました。自分の中でもその言葉の深い意味が理解できてきて、僕も息子に同じように自分たちの代で創ったものをちゃんと残して続くようにしてあげたい、それは会社だけでなく、我孫子という街そのものも含めた、いろんな意味での財産を残してあげたいっていう感じです。そういう想いがビジョンとしている「100年企業」のベースになっています。

全国で約1740ある市町村、魅力やスタイルは全て異なります。僕たちは、同じ方向を向き、新しい発想で挑戦し続ける気持ちを持って、未来の担い手の子供達の笑顔に繋がる素敵な街創りを行っていきたいと、日々挑戦しています。そしてこれからも、地域に必要とされる社会的企業として成長し、街の人々の暮らしを支えていきます。

中澤洋一 YOICHI NAKAZAWA

社会起業家。千葉県印西市出身。不動産業界一筋に歩み、都内など数社を渡り賃貸や売買の経験を積む。2014年に晃南土地株式会社代表取締役に就任。「不動産事業で地域を代表する企業を創造する。人をつなぎ、街創りの架け橋となる事業の創造とサービスの発展で、地域に貢献する。」を目標に掲げ、1991年創業の歴史を受け継ぎながらも、柔軟な視点とフットワークで街の事業開拓やイベントに積極的に参加し、新たな風を起こしている。我孫子に根ざした地元企業の代表として街をリードし、オピニオンリーダーとしても活躍の場を広げている。