


A-LIFE HOLDINGS株式会社 / 晃南土地株式会社 代表取締役
中澤 洋一 / YOICHI NAKAZAWA
千葉県印西市出身。不動産業界一筋に歩み、都内など数社を渡り賃貸や売買の経験を積む。2014年に晃南土地株式会社代表取締役に就任。「不動産事業で地域を代表する企業を創造する。人をつなぎ、街創りの架け橋となる事業の創造とサービスの発展で、地域に貢献する。」を目標に掲げ、1991年創業の歴史を受け継ぎながらも、柔軟な視点とフットワークで街の事業開拓やイベントに積極的に参加し、新たな風を起こしている。我孫子に根ざした地元企業の代表として街をリードし、オピニオンリーダーとしても活躍の場を広げている。
画家
渋田 薫 / Kaoru Shibuta
1980年北海道生まれ。音に関心を抱き、音が色や形となって現れる様子を、即興的かつ共感覚的に描く画家。2000年にPan Make-up School、2003年にKanebo Make-up Institute 卒業。バルセロナ芸術文化センターEspronceda、サンタモニカ美術館(CASM)、ロシア国立現代アートセンター(NCCA)、Elisabeth Jones Art Center(ポートランド)など、世界各地のアーティスト・イン・レジデンスで制作・発表を重ねてきた。2024年・2026年「VENICE ART BIENNIAL “PERSONAL STRUCTURES”」、2025年「FLORENCE BIENNALE」など、国際展への出展も多数。
大正期に白樺派の文人たちが手賀沼のほとりに集い、創作と交流を重ねた我孫子。
この街に現代の作家を招き、滞在しながら制作してもらう。「私たちにしか出来ない『街創り』を」を掲げる晃南土地では、我孫子からアートと文化を発信すべく、アーティスト・イン・レジデンスの取り組みを続けてきました。我孫子を訪れる作家たちの目に映った我孫子の姿、感じとった我孫子の魅力を発信してもらい、街創りへと還していく試みです。
今回、我孫子アートビレジの一室で滞在制作を行ってくださったのは、世界中で活躍し続けている画家の渋田薫さんです。渋田さんとの出会いは、2025年秋に開催された渋谷芸術祭2025の公式プログラム『第11回 SHIBUYA ART AWARDS 2025-26』にさかのぼります。審査員を務めた晃南土地の代表・中澤洋一が、渋田さんに「Abiko A-life賞」を贈りました。その副賞が、我孫子のアーティスト・イン・レジデンスへの招待です。
「音を視覚化する」という独自の手法で、世界各地のレジデンスを渡り歩いてきた渋田さん。彼にはこの街がどう映ったのでしょうか。我孫子での日々を伺いました。

— 渋田さんは北海道のご出身とのことですが、どのような流れで絵の道に進まれたのでしょうか。
渋田 : 小さな頃、僕は落書きをするのが好きで、教科書とかにいつも何かを描いていたんです。真っ白な紙に絵を描くっていうのは苦手だったんですが、落書きは大好きで。大人になって、「色」が好きなこともあってヘアメイクの道に進みました。そのうち、メイクを教える立場になって、顔の絵を描く必要が出てきたので、絵を習い始めたんです。
それで絵を描いているうちに、どんどんそっちにのめり込んでしまって。仕事の時間よりも絵を描く時間がだんだん増えてきて、それが本格的になっていって。最後には絵に集中するために仕事を辞めました。場所も東京から京都に移って、絵のほうに集中することにしました。
— ヘアメイクから画家へ。それは思いきった転身でしたね。
渋田 : そうですね。普通はそんなことしないと思います(笑)。美術作家って、とても狭い、もうひと握りの世界ですから。当時はパートで働きながら制作をしていたので、それはもう、もちろん大変でした。いわゆる底辺の時代はかなり長かったです。歯を食いしばって生活していました。
— 歯を食いしばるほどの期間があっても、頑張れた。
渋田 : はい。好きだったから。やっぱり好きじゃないとなんでも続けられないですよね。
— 「音を絵にする」という今のスタイルには、どうやって行き着いたのでしょうか。
渋田 : これがきっかけ、というのはないんです。絵を学んで、絵に集中するようになっていって、少しずつ。やっぱりヘアメイク出身なので、「顔」を描くのが最初は得意だったんですが、だんだん飽きてきて。飽きては新しい画風に挑戦して。緻密に描くものを描いてみたり、顔が漫画っぽくて簡単なものを描いてみたり。現代アートみたいになっていったり。それからだんだん、大人ではなくて、子供とか赤ちゃんを描くようにもなって。そしてそれも自分の中で描き尽くしてしまったなと思ったり。
実は、しばらく絵を描けなかった時期があったんです。その描かなかった時期に、クラシックのライブを聴きに行く機会がありまして。その音楽にすごく感動してしまって。それで、「これを表現できないか」と思ったんですね。最初はぐちゃぐちゃでした。けれど、楽譜とか音符みたいなものを描いたり、聞いてみたり、なんとなく音楽に合わせて描いたりしているうちに、今のような形になっていきました。なので突然このスタイルになったわけでも、はっきり見えるっていうわけでもなかったんです。

— 音や匂いは、目には見えないものですよね。それを見えるものにするというのは面白いですね。
渋田 : そうですね。僕の絵を見て、「音が聞こえてくる感覚がある」といってくださる方もいます。

— さまざまな土地で制作されてきた渋田さんですが、我孫子の滞在は初だったそうですね。
渋田 : 今回のように、暮らすように過ごしたのは初めてです。去年の白樺芸術祭のイベント※で、登壇させていただいた時に、初めて我孫子を訪れましたが、数時間だけでしたし。実は、僕が高校を卒業して初めて一人暮らしをしたのが足立区の北綾瀬というところだったんです。だから、電車の終点に漢字三文字の名前(我孫子)があるなぁというイメージだけはありましたが、しっかり滞在したのは初めてなんです。
※2025年に我孫子市で開催された「白樺芸術祭ABIKO 〜過去と未来の交差〜」
— 実際に暮らしてみて、我孫子の「音」はいかがでしたか。
渋田 : 静か、でした。人が多く住んでいるなかにある、静けさでした。なので、何もない、田舎の、誰もいないところでの静かさとは違う。ほっとするような静けさっていうんですかね。それが今までにちょっとなかった感覚でした。(我孫子ビレジは)団地ですから、たくさんの人が集まって暮らしているんですけど、皆さん静かに過ごされているので、なんだかほっとした生活を送れました。
— その「ほっとする」感覚は、作品にも表れましたか。
渋田 : そうですね。ほっとする感覚って、絵でいうと、線に出たり、色の雰囲気にも出るんですけど、すごくはっきりと出るわけではないんです。ほっとすることで、想像のインスピレーションがたくさん湧いてくる感じ。もちろん、ほっとすることで、線が緩くなったり、鋭さではなくて緩さが出たり、形にも有機的に丸みが出たモチーフが多くなったりはしたと思います。

— 手賀沼にも行かれたそうですね。
渋田 : 手賀沼の橋のこちら側(我孫子側)をよく歩きました。行ったり来たりしてましたけど、なんだか外国にいるみたいな感覚がありました。快適な散歩道があって、自然豊かで。ヨーロッパの人は、ああいう水のあるところに普通に入って泳いじゃうんですよ。自分だったら足元とか「気持ち悪いなぁ」と思っちゃいますけど、向こうの方は海パンを履いて泳いでいたりする。ベルリンなんかは都市ですけれど、森があって、小さい湖がいくつもあって、その周りには森があって。みなさん、走ったり、キノコを採ったり、自転車に乗っていたり。釣りをしている人もいましたね。そんな風景を思い出しました。
— 我孫子のどんな「音」が印象に残りましたか。
渋田 : 手賀沼の鳥が思ったより多くて、聞いたことのない音が多くありました。鳥の印象、鳥の音の印象が強いですね。あとは、沼に近づくと鯉がまとまって集まってきて、すごかったです。餌を迎えに来ているのか、勢いがすごくて。もうその光景が焼き付いていて、絵にもなっています。鯉が、口をパクパク開けて向かってくる。北海道ではこう、鮭とか大きい生き物が単品でやってくる感じというんですかね。キツネとか、みんな単独行動なので、集団の鯉には驚きました(笑)。

— 制作にあたっては、事前に手賀沼のことをずいぶん調べてこられたとか。
渋田 : はい。まずここに入る前に、手賀沼について調べました。特に白樺派が活動してた時代、そして人が我孫子に集まってきたことで汚れていった時期のこと。そして現在の水質も調べました。自然があって、水がある。その水の印象なども、事前に調査資料のようなものとして作って、作曲家に曲をお願いしました。そして、そのイメージの風景を写真家に撮ってもらいました。これらをベースに、我孫子に入ってから作品にしていきました。実際にその作曲した曲をずっと部屋でも流していました。水があり、植物が成長し、手賀沼の水が汚れたり綺麗になっていったりするイメージの音楽です。最後には、我孫子の「河童音頭」を今風にアレンジした要素も使ってもらいました。先日、この部屋の壁で制作した作品は、ちょっと未来をイメージさせるような、明るい音楽を表現する作品となりました。
— 作曲家の方との共同制作なんですね。
渋田 : そうですね。よく、一人でできない部分はお願いするんです。作曲家は東京の方で、絵とかを見せて曲にすることができる人なんです。だから、音のようなものと物語を見せて、そこから曲を作ってもらいました。下地にしたのは、我孫子にゆかりのある、柳宗悦さんの奥さんで声楽家の柳兼子さんもよく歌われていたという「荒城の月」という歌です。それから、河童をベースにしたもの。河童が出そうな沼や川とか、普通の草を朝日の中で撮ってもらいました。他にも普通の樹木とか、町の古い屋根を探してもらって。僕は行けなかったんですけど、旧井上家住宅の屋根を撮影してもらったものを使ったりもしています。
— そんなに準備してから来てくださったとは。滞在中はどう過ごされていましたか。
渋田 : 文学館などを回ったり、手賀沼沿いを歩いたり、あけぼの山の公園に行ったりしたくらいです。我孫子に来て感じたのは、なんだかいろいろ、頭の中でごちゃごちゃしてるものをまとめやすい場所というか、制作に集中しやすい環境が揃っている、作家にいい環境だなと思いました。「(我孫子は)鎌倉に似ている」っていう言葉を聞いていたのですが、たしかに鎌倉も文化度が高い場所ですし、作家さんがいっぱい住んでいます。だからきっと我孫子もいい環境なんだろうなと思ってはいました。

— 完成した作品には、どんな我孫子が表れているのでしょう。
渋田 : 手賀沼の色に反映されて、水の濃い色が出ていたり、音を描いたものも多かったり、例えば穏やかな散歩道がまっすぐあって、そこにリズミカルにモチーフが描かれていたり。穏やかな水平を感じさせるような構図にも、出ていたりします。沼で聞いた音もたくさん使っていますし、河童がいそうな風景も使っています。一応これを「あびこ民芸」と名付けました。訪れる中で、タナゴ釣りの話を聞いたりもしまして、タナゴのような魚のモチーフがあったりするので、我孫子っぽいものは多くなったかなと思います。
— このお部屋で、最後には展示会もされたと伺いました。
渋田 : はい。今回、最終日近くに、今回の滞在に関わった方たちが来てくださって、実際に作ったものを全部まとめてお見せすることができました。手賀沼の草の風景に、鳥のさえずりを使って、細かくカラフルにやった作品があるんですけれど、それを見て「山奥で聞ける大自然の音と似てる」と言っていただきました。実際の手賀沼は、もっと穏やかな鳥のさえずりなんですけれど。でももうちょっと深いところに行くと、また違う音がするのかもしれないですね。展示会や芸術祭とかってなると、本当に決まった作品しか発表できないので、こういう機会はとても貴重でした。

— 今回の作品を見た方から、絵本制作のお話があったとのこと。
渋田 : はい。展示の時に、手賀沼の絵本はどうかという話をいただいて。今回の滞在制作の作品だけでは足らないので、もう少し新しい作品も今後作っていきます。手賀沼といっても、オオウナギの話なんですよ。話はもうできているので、これから絵を作っていくという流れです。絵本は僕も初めてなのでとても楽しみです。

— 大正期の白樺派のように、この街にまた作家が集まってくれたら、というのが私たちの願いでもあります。実際、その可能性はありそうでしょうか。
渋田 : そうですね…。100年前の我孫子、白樺派が生まれたときは、すごく完璧な、美しい自然があった状態だったと思います。でも今回は、先に作家が来て、文化を高めて、結果、自然がまた綺麗な状態に戻っていくようになるんじゃないかと思います。
— 作家の方が訪れることで、自然が綺麗になる。
渋田 : そうです。僕の出身地である、北海道の襟裳岬の隣の広尾町という町には、小学校の時に水質が日本一になった川が流れているんです。でもその後、人がよく来るようになって、どんどん汚れていって。観光で来たり、地元の人がバーベキューするようになったりして、人が来ると自然は汚れちゃうんですよね。だから結構、僕は水にはよく注目するんです。うちは山側ですが、街には川も海も山もあります。そういうところで育ちましたので、手賀沼を見ると、まだまだ綺麗な状態じゃないなと思ってしまうのです。でも、作家の方たちがこうして我孫子に集まってくることで、自然もまた変わっていくんじゃないかと感じました。

— 最後に、毎回みなさんに伺っています。我孫子の魅力を一言で表すと、何でしょうか。
渋田 : そうですね、一言で。「たくさんの人々の中での安心感」でしょうか。ほっとする場所って、箱根とかにも似た感覚なんですけど、そこに人がたくさん集まって住んでて、生活も便利で、人の気配があるのに静かで、自分のことに集中できるっていうのが、すごい。僕は作家として、我孫子はすごくいい環境だなと思いました。ゴーストタウンの静けさと、我孫子の持つ静けさとは、感じ方が全然違います。静かでも、夜、人が暮らしている灯りが光っているというのも、いいのかもしれないですね。
— 渋田さんが、制作で大切にされている価値観も伺えますか。
渋田 : 一言でいうと「好き」です。自分が好きなことをするというか、つまり「自然体であること」ですかね。もちろん全部が好きなことや、自然体でいることが大切なのではなくて、半分くらいはガチガチの決まったものがあるんです。あるんですけれど、自分のアーティストのスタイルがありながらも、その中で、徹底的に自由にやるというのを大切にしていて。それをやり続けていると、殻を破るというか、全然違う作品ができたりするんです。それはもう、ただ自由にやるよりも、すごく魅力がある。これからも、そういう作品を作りたいと思っています。
それから、失敗したものも、失敗っていう感覚は特に持たなくて。失敗もそのまま面白く生かしていって、アートとしていい作品ができたりすると思っています。だから、「失敗を受け入れる」ということも、大事にしています。

Douceur de vivre au lac Teganuma. Une balade entre farts, marais et rizières, au rythme des oiseaux pr des poissons, en communion aves la nature. (手賀沼での素晴らしい暮らし。鳥や魚の鳴き声とリズムに身を任せ、湿地や水田を散策し、自然と一体となる。)
(写真協力/渋田 薫)
参考リンク
人の気配がありながら静かで、自分のことに集中できる——渋田さんが我孫子に見出した魅力は、「たくさんの人々の中での安心感」でした。手賀沼の水の歴史を調べ、その記憶を音に、そして線や色へと移し替えた滞在制作は、「我孫子民芸」と名づけられ、やがて手賀沼とオオウナギの絵本へ、新たな作品へと続いていきます。100年前、白樺派が美しい自然のなかで文化を育てたこの街で、渋田さんが語ったのは、その順序を入れ替えた未来図でした。「先に作家が来て、文化を高めて、結果、自然がまた綺麗な状態に戻っていく」。手賀沼を「思ったよりも綺麗に回復したんじゃないか」と感じた作家の目に、我孫子はこれから変わっていく街として映っています。