

A-LIFE HOLDINGS株式会社 / 晃南土地株式会社 代表取締役
中澤 洋一 / YOICHI NAKAZAWA
千葉県印西市出身。不動産業界一筋に歩み、都内など数社を渡り賃貸や売買の経験を積む。2014年に晃南土地株式会社代表取締役に就任。「不動産事業で地域を代表する企業を創造する。人をつなぎ、街創りの架け橋となる事業の創造とサービスの発展で、地域に貢献する。」を目標に掲げ、1991年創業の歴史を受け継ぎながらも、柔軟な視点とフットワークで街の事業開拓やイベントに積極的に参加し、新たな風を起こしている。我孫子に根ざした地元企業の代表として街をリードし、オピニオンリーダーとしても活躍の場を広げている。
画家
ミホ・サトー / MIHO SATO
東北を拠点に活動。身近な自然と日常の中で心が動いた瞬間を抽出して、抽象画として描き続けてきた。絵のモチーフはすべて、暮らしのなかで出会ったもの。展示活動に加え、ライブペイントでも創作の現場に立つ。2025年、『第11回 SHIBUYA ART AWARDS 2025-26』にて中澤洋一が選ぶ「Abiko A-life賞」を受賞。2026年5月、我孫子のアーティスト・イン・レジデンスに参加。
晃南土地株式会社の代表取締役・中澤洋一が、我孫子に関わる人たちとの対話を通じて、街のこれからを考えていくクロストーク連載。今回のゲストは、画家のミホ・サトーさん。
2025年秋に開催された渋谷芸術祭2025の公式プログラム『第11回 SHIBUYA ART AWARDS 2025-26』※1 で、中澤洋一は「Abiko A-life賞」の審査員を務め、ミホ・サトーさんに同賞を贈呈。副賞は、我孫子のアーティスト・イン・レジデンス※2 への招待でした。2026年5月、ミホ・サトーさんは我孫子ビレジ※3 に15日間滞在し、絵を描き続けました。
滞在最終日に行われた対話を、お届けします。

中澤: 2025年、産学官連携の街づくりとして「白樺芸術祭ABIKO」※4 を立ち上げることになりました。ちょうど同じ時期に、東京で渋谷芸術祭2025が行われることになっていて。僕はそのタイミングで『SHIBUYA AWARDS』を主催する一般社団法人SHIBUYA AWARDSの代表理事・米田憲史さんをご紹介いただき、米田さんから「審査員としてジョインしてみたらどうですか」と提案してもらいました。僕は作品を作る側の人間ではなく、芸術についてそこまで詳しいわけではない。でも作品に対するファーストインプレッションはいつも大事にしてきていたから、その感覚を頼りに審査員をさせていただきました。
「この方はどういう思いで作られているんでしょうか」と、作品の背景やアーティストさんご自身についても積極的に質問させてもらって。その中でミホさんの作品、ミホさんご自身のお話を深く伺ううちに、この方に、この作品に賞をお贈りしたいと感じたんです。
ミホ: ありがとうございます。
中澤: 僕は不動産会社を経営している中で、我孫子をもっと素敵な街にしたいという強い思いがあります。そして不動産企業である僕たちにとって「街創り」は果たすべき役割だとも考えていて。地域活性化や、我孫子の歴史を伝えていく取り組みを積み重ねてきたんですね。そのひとつがアーティスト・イン・レジデンスの活動でした。これをAbiko A-life賞の副賞としてお贈りしたんですよね。

中澤: 我孫子で暮らしてみて、印象はどうでしたか?
ミホ: 落ち着くということをいちばん感じましたね。穏やかな街の雰囲気というか。もちろん自然の豊かさもありますが、その土地の持つ力、柔らかさを感じました。
中澤: 嬉しいですね。以前、我孫子に住んでいた取手の芸大の学生さん、長野出身の方に「なんで我孫子にしたんですか」と聞いたら「我孫子の駅を降りた瞬間に、地元に帰ってきた感をめっちゃ感じたんです」と話してくれたんですよ。居心地がいいし、我孫子の時間軸も好きで、と。我孫子に住んでいると、子供の頃の感覚を思い出す── そんなノスタルジックな位置づけですね。都内にも近いし、住む環境として、自分の時間軸を取り戻したいとか、生まれた頃を思い出しながらリラックスしたいという方には、とても合う街なんじゃないかなと思っているんです。
ミホ: そうですよね。
中澤: 実際に過ごしていただいて、どうですか?
ミホ: やはり「訪れる」と「暮らす」では違いがありますね。暮らしやすい、日常生活を送りやすいところだなと思いました。私が制作という目的があってお伺いしている点を抜きにしても、フラットな自分に戻れる、その印象が強くなりましたね。穏やかさがあるからこそ目の前のことに集中できる。本当に素敵な環境だなと思います。
中澤:「フラットになる」っていう表現、僕は初めて聞きました。すごく面白いですね。職業や人によって、感覚の言語化って違いますよね。僕は不動産の仕事をしているので、お客様に我孫子をご紹介するときには、こんな話をすることが多いんです。「生まれ育った環境、子供の頃の感覚って、ずっと残っていますよね。『実家に帰るとああ、落ち着くな』みたいな感覚、皆さん持っていらっしゃると思うんです。それと同じ感覚を、ここ我孫子の水辺や緑から、ご自身の実家でなくても感じていただけるんですよ」って。
ミホ: そうですね。本当に自然な感覚で過ごせる、そういう場所ですよね。
我孫子の手賀沼周辺は、古くから東京の文化人を惹きつけてきた土地でもある。大正期には白樺派の作家たちがこの地に集まり、関東大震災(1923年)の後にはジャーナリストの杉村楚人冠が移住し晩年まで暮らした。「ノスタルジック」「フラットに戻れる」── 立場も時代も違う人の言葉が、同じ手賀沼の風景に重なって聞こえてくる。

中澤: 実際に制作をしてみて、我孫子だからできた作品とか、インスピレーションが湧いたところって、ありましたか?
ミホ: もう、ありすぎてちょっと困ってしまうくらいでしたね。まず自分が強い色をあまり使わないことに驚きました。普段は結構くすみのある色や強く重い色、濃い色も多く使います。我孫子で出会ったものを受けとめて、描いて出力する際に、明るい色、淡い色、気持ちが軽やかになるような色が、選ぼうとせずとも選ばれていくというか。表現に対して純度を高く、本当の形で「我孫子の絵」を描こうとしたとき、どういう色や線を選ぶのか。心地良い新鮮な感覚でした。
中澤: いや、いま、いいお話を伺ったなあ。だって絵が生まれた裏側って、作品を見ているだけではわからないじゃないですか。たとえば僕は美術館に行っても、自分が描かないから、何がすごいのかを感覚で見るしかなくて。そこに歴史や裏付け、どういう思いでこの作品を作ったのかを伝えてもらえると、すとんと納得できたり、感動できたりするんです。作品の前に立ったときに、その思いがよみがえってくる。やっぱりエピソードを知れるといいなって、改めて思いました。ぜひ、今回どんな作品を描かれたのか教えていただけますか。

ミホ:ありがとうございます。レジデンス中の制作は三本立てで臨みました。私は日常で心が動いたものをメモのように抽出しますが、今回の小さな作品たちがそれに当たります。大きなキャンバスには、その日に見た色や印象から抜き出し、長いライブペイントにも思える形で重ねていきました。ほかに中間くらいのサイズで、満月の浮かぶ手賀沼の風景を描きました。15日間で計13作ですね。
ミホ: レジデンスの初日、NECグリーンロケッツ東葛さん※5の試合の応援に同行させていただきました。すごく爽やかで、緑の中で皆さんの熱量やひたむきさに感動する時間をいただいて。安心感もとてもあって。あの日見た緑が、大きなキャンバスへ最初の色として現れています。そういった我孫子がくれた体験、いただいたお気持ちや素敵な瞬間が反映されて、この絵たちが生まれました。

中澤: 今回、我孫子の色々な場所を回っていただきましたが、印象に残ったところはありましたか?
ミホ: もう本当に時間が足りないくらいで。大切に回らせていただきましたが、やはり白樺文学館※6 の存在の大きさがあって。
この我孫子という土地を、白樺派の皆さんや関係する方々がなぜ選んだのか不思議で。どうしてここなのかを知りたくなりました。体感で知っていくしかないなと歩かせていただき、気づきました。また別の場所へ向かうとしても、一時、羽を伸ばし休み、自分のあるべき姿に還り、やるべきことに集中できる。穏やかさというベースがあってこその制作だなと。暮らすことと作ることは、本当に密接な関係があると実感して。白樺派の方々もそういった穏やかさを求めて、豊かな自然の中でフラットな状態に戻れる場所として選んでいらっしゃったのかなと感じました。もちろん当時ご縁が繋がってというのはあったかと思いますが「どうしてここなんだろう」の答えを、実体験として、私もひとつ見つけられたと思います。落ち着くって、なんて大事なことなんだろうって。
中澤: 100年前の白樺派の人たちも、我孫子に住んで、我孫子の人たちと関わったときに、その安心感みたいなものがあって活動していたのかもしれませんね。来てみていいなと思っても、暮らしてみて落ち着かなかったら、すぐに違うところに移ってしまいますもんね。その場所を選ぶ理由って、皆さんあると思うんです。自分のいる場所を選んだ理由。居心地の良さ、というか。
1914年(大正3)、思想家・柳宗悦が手賀沼のほとり、三樹荘に移り住んだ。翌1915年、志賀直哉が柳の勧めで移住。1916年(大正5)には武者小路実篤と、英国人陶芸家バーナード・リーチが続いた。志賀直哉はこの地で『城の崎にて』『小僧の神様』『暗夜行路』前篇を執筆。互いに舟や徒歩で、毎日のように往来したという。

中澤: 今回ミホさんが滞在してくださった「我孫子ビレジ」についてご紹介させてください。ここは2023年にグッドデザイン賞をいただいた取り組みなんです。いま全国的に空き家が問題になっていて、団地と呼ばれるマンションでも空室が増えている中で、たまたま僕たちの会社で一部屋買うことができて。最初は「ただリノベーションして販売するのもなんだかな」と思っていたんです。「もっと地域のためにできることはないか」と考えたときに、ふとピンとひらめいたのが、団地の特性でした。
団地って、間取りがほとんど一緒なんですよ。そこに一部屋モデルルームを作ったら── リノベーションが進まない理由って、実際の仕上がりをイメージできないことだと思っていたので── 自分の部屋と同じ間取りがリノベーションされている例が見られたら、イメージが湧くんじゃないかなと。また、今リノベ会社はたくさんありますけど、地元で誰に頼んだらいいかわからないという方も多いんですね。そこを地元の会社が一貫してできると、これまで「団地は古いよね」というイメージをお持ちだった方たちにも「古いけど価値がある」と伝えていけるし、古いものを大切にしていく循環が増えたらいいなと購入させていただいたんです。今回は、ちょうど工事前で空いている一室があって、比較的綺麗な状態で、この時間を活用できないかなと。アーティスト・イン・レジデンスにちょうどいいんじゃないかと思い、団地や我孫子の良さも発信していただける取り組みができたらいいなと、今回はここをご紹介させていただきました。

中澤: 実際に活動されてみて、団地の印象はどんな感じでしたか?
ミホ: 見て感じる印象としても、内包するものとしても、美しいと思いました。様々な生活が、部屋ごとに行われている。その暮らしごとの尊さというか、ご家族、お一人おひとりの生活があると考えたときに、美しいなって。ベランダにもそれぞれの生き方が滲み出ていて、愛おしい。素敵ですね。あと団地って安心感があるんだなって。たくさんの家族が、ひとつのまとまりの中にいるような、孤立しない感じ。やはり何かあったときには団結したり助け合ったりできると思うので。そういう安心を感じました。
中澤: 今は人間関係が希薄になっていて、人のつながりがなくなってしまっている時代ですが、団地って当時もともと一つのビレッジとして作られていて、いろんな世代の人、いろんな家庭の人たちが住んでいる。ある意味、団地ってひとつの「街」だっていう考え方もできる。それを感覚で感じてくださったんでしょうね。
ミホ: そうですね。強みだと思います、そういう安心感は。

中澤: ミホさんが言ってくださって、本当に嬉しいことがあるんです。米田さんと先日、手賀沼のほとりにあるCafe Garden Hasegawaさんで食事したときもそうだったんですけど、多分、我孫子という街自体に落ち着く感覚があって。その上で僕たちとの関わり方にも安心してくれている。感覚的なところから一致できたっていうのが、すごく嬉しいなと思いました。だってまだ、お会いしたのは2回目ですもんね。
ミホ: そうですね。そんな感じがしませんね。
中澤: 去年の11月に初めてお会いして、今回で2回目。会ったのはまだ2回だけです。
ミホ: もう人の持つ力、土地の持つ力だと思います。

中澤: 白樺派の人たちも、同じような感覚を持ちながら、我孫子に住んで、我孫子の人たちと関わったときに、その安心感みたいなものがあって、活動していたんじゃないかなと思うんですよ。最後に、ミホさんが我孫子に関わるようになるまでの経歴を、少し伺えたらと思って。今のご活動と、我孫子に関わるきっかけを教えていただけますか。
ミホ: 東北で生まれ育ち、自然や人々、文化的にも豊かな中で暮らしてきました。心が動いたことや目に映ったもの、出会いから抽出して可視化する、抽象画を描き始めて。より表現の純度を上げ、暮らしに根づいたアートを自分の形で見つけていきたいというのが私のスタートでした。その延長にSHIBUYA AWARDSがあり、中澤さんからAbiko A-life賞をいただき、今回お邪魔したという流れですね。
中澤: 我孫子を見て、懐かしいと感じてくださったんですよね。都会育ちの方は、逆に懐かしいというよりは、避暑地のように感じてくださることが多いんですけど、ミホさんは懐かしさや安心感を感じてくださった。元がそういうところに通じていたのかなと思って、お聞きしたかったんです。
ミホ: 我孫子の持つものとして感じました。安心感と言っても、既視感とは違いますね。見たことがないものなのに、新しい懐かしさを感じる。この我孫子の持つ空気というのが、今、実際に見えている時代ではない頃から積み重ねられ、いくつも層になり醸し出す雰囲気だと私は思っています。それは街が人を作ることでもあり、人が街を作るということでもあると、暮らしを通し学びました。かけがえのない素敵な体験をさせていただき、本当に感謝しております。
中澤: アーティスト・イン・レジデンス、今回が初めてなんですよね。
ミホ: はい、初めてでこんなに集中して描けるとは思いませんでした。そのくらい安心して、普段通り、自分の為すべきことを為せる環境であったという風に、私はまとめさせていただきたいです。東北が大好きで、普段あまり東北から出たいと思いませんが、お話をいただいたときにもう即答して「行きます、よろしくお願いします」でしたね。我孫子だからです。
中澤: 本音で言ってくださっているんだなって、感じるんです。本音じゃないと、ここまで自然には言えないだろうなと思うからこそ、ミホさんの言葉ひとつひとつから、伝わってくるものがある。嘘偽りが全然感じられないし、本音で伝わってくる── それが、ミホさんの生き方なのかなと思いました。
ミホ: ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。東北人は嘘をつかないですね。
中澤: 僕は半分嘘ついて、半分本当です。
ミホ:(笑)。これから疑っちゃいますね、どっちだろうみたいな、冗談ですが。でも本当に中澤さんこそ、心から思って伝えてくださって、行動でも大切にしてくださるなと感じる15日間です。

中澤: いや、ありがとうございます。でも、皆さんがいてくださるからこそ、本当にこの企画もできていて。僕は考えるのが好きなだけで、その思いに皆さんが集まってくれて、スタッフたちのチームワークもあって、アーティスト・イン・レジデンス自体も、大きなイベントも実施できています。人が集まるきっかけをつくることが、僕はすごく好きなんです。これからもまた、想像していなかったことが、みんなと集まってできてくると考えると、めっちゃワクワクします。そんな仲間の一人に、ミホさんも加わっていただけたんじゃないかなと、僕は感じているので。これからもよろしくお願いします。
ミホ: はい、今後ともよろしくお願いします。
中澤: 仲間です、ありがとうございます。
ミホ: おかげさまでもう我孫子愛が芽生えて。いいところは過ごしていると体感で見えてきますが、我孫子の頑張っているところ、もっと良くしたいと思っているところについても、教えていただきたいな、知っていきたいなって、そういう我孫子愛。そこまで今回、気持ちが、心が進みました。
中澤: じゃあ、エピソード2もあるってことですね。
ミホ: また即答していいですか(笑)。
中澤: ぜひ。時期を変えても良いかもしれない。秋の我孫子もいいんですよ。我孫子で、お待ちしています。
ミホ:楽しみにしています。
(写真/中村祥一)
参考リンク
ミホ・サトーさん Instagram
ミホ・サトーさん 公式HP
ART-VILLAGE | アートビレッジ(晃南土地)
脚注
※1 第11回 SHIBUYA ART AWARDS 2025-26 2014年に創設された現代アートの公募展。一般社団法人SHIBUYA AWARDS(代表理事:米田憲史)が主催。「都市と生活にアートを」をテーマに、渋谷を拠点として、日常空間における芸術体験を広げる取り組みを続けている。2025-2026年の第11回はテーマ「自由 -JIYU-」のもと、渋谷芸術祭2025の公式プログラムとして開催された。
※2 アーティスト・イン・レジデンス(Artist in Residence) アーティスト(芸術家)が一定の場所に滞在し、地域の人々や文化と交流しながら制作活動やリサーチを行うプログラム・事業のこと。
※3 我孫子ビレジ 1977年に開発された大規模団地。総住戸数994戸、店舗を含めると1,000戸を超える規模を持つ。晃南土地は2023年、団地一室をモデルルームとしてリノベーションする取り組みでグッドデザイン賞を受賞した。
※4 白樺芸術祭ABIKO 2025年、我孫子市制施行55周年を記念して、産学官連携で開催された地域芸術祭。我孫子ゆかりの白樺派の精神を現代に受け継ぎ、白樺派の足跡と現代の若手アーティストをつなぐことを目指して企画された。
※5 NECグリーンロケッツ東葛 NECグリーンロケッツ東葛は2025年12月にJR東日本への運営譲渡が発表され、2026年7月譲渡実行予定。チーム名称は取材時点のもの。
※6 白樺文学館 ── 我孫子と白樺派 我孫子の手賀沼のほとりは、大正期に「白樺派コロニー」と呼ばれた文化人の集落だった。1914年(大正3)、思想家・柳宗悦が三樹荘に移り住んだことを起点に、翌1915年には志賀直哉が、1916年には武者小路実篤と英国人陶芸家バーナード・リーチが続いた。志賀直哉はこの地で『城の崎にて』『小僧の神様』『暗夜行路』前篇を執筆。1923年(大正12)の関東大震災を機に翌1924年にはジャーナリストの杉村楚人冠が移り住み、晩年(1945年没)までこの地で暮らした。「我孫子市白樺文学館」は、その歴史を後世に伝える施設として、2001年に開館。2009年から我孫子市が運営している。