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私たちの街創りby Abiko A-life

2020年01月11日

野菜ドリブン!正真正銘「farm to “table-beet”」

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我孫子の田中調整池という利根川の遊水池内にある3000坪の畑で、出来るだけ自然に育つ美味しい野菜づくりを目指し、農薬・除草剤・化学肥料不使用で有機野菜を作る「自然野菜のら」の中野牧人さん。その旬の季節野菜を、驚き溢れる美しいお料理で提供する柏の「農en Restaurant tablebeet」を経営する株式会社CHATEOの代表取締役、安生俊一さん。

 

 

 

 

昨年10月に晃南土地がメインスポンサーを務め、Abiko A-lifeが手賀沼公園で開催した「NEIGHBORSHIP-ネイバーシップ我孫子国際交流文化祭」に、安生さんは主催メンバーとして参画。フードブースのキュレーションを担当くださり、これまでにないクリエイティブなフード提案で多くの来場者を喜びで包んでくれました。

 

>>>※「ネイバーシップ我孫子国際交流文化祭」当日の様子はこちらから

 

 

 

 

今尚続くお二人の挑戦の物語を聞いてきました。今のスタイルや考えに行き着く過程を、二部に渡ってご紹介します。思わず聞き入ってしまう!開店時間での強制終了がなければ永遠と聞き続けたい!そんなワクワクが止まらない二人のやりとりをノンカットでお届けします。お楽しみください。

 

 

<part 1> 農en Restaurant “ tablebeet ” 野菜ドリブン!正真正銘「farm to “table-beet”

 

 

 

 

 

「美味しかった」「楽しかった」「ありがとう」。成果として、直にお客様の喜びを感じられる事の魅力。

 

安生さん:

自分の店を持つまでを常に描いてました。最初は洋服屋さんで挑戦、古着などを買い集めて車でまわって売ってました。10代の頃です。店をやるとしたらゼロから、全て自分で出来るものでやりたいと模索を続けてました。服飾ではうまくそのスタイルを自分の中で見い出して行けず。それで、自分の中でもう1つあった好きなもの、「食べ物や飲み物」に関心が移り…。小さい頃から何となく「いいものを食べたい」という思いがありました。きっと美味しく無いと思いながらも、冷凍食品などを口にするというような疑問を持てる機会があったからかもしれないです。親にいつも「良いものが食べたい!」ってしょっちゅう言っていて、「うるさい」と怒られてました(笑)。

 

そんなこんな思案している中、良いなと思っていたお店が求人していると知り、まだ学生でしたが、すぐ応募しました。個人経営の小さなお店でしたが、ちょうどオーナーが全運営任せる人を探していたタイミングだったんです。自分でお店をやる、どんな形態であろうと兎に角「自分の店を持つ」。これはずっと決めていた事だったので、「良い練習になる!」とすぐに入りました。そこはお料理を作るからお客様の反応を見るまでを全部できたので、「美味しかった」「楽しかった」「ありがとう」と、お客様の喜びを直に成果として感じられました。「お、これだっっ!」と直感しました。学生の間はそのままそこで働き、店の切り盛りの全てをやりながら、運営について吸収していきました。次は企業で飲食の運営を学びたいと、新卒で飲食経営をしている企業に入社しました。「経営を学びたいです。最終的には独立して自分のお店を持ちたいです。勉強させてください。」と面接でお伝えし、就職しました。

 

 

 

 

伝えることの大切さ。サービスの重要性とそれが持つ価値。

 

最初に担当した仕事は「料理」でしたが、数ヶ月で売る方の「サービス」に行きたいと希望しました。お料理は「美味しい」はもう大前提にあるものです。それを運んで持って行くだけで、役割や居場所を見いだせていないサービスチームが、ただ店頭にいるような状況だったんです。料理人が一番偉くて、そこからたたき上げで料理長になり、ようやく店長になって、運営から本社経営にいくと言う道筋がこの会社の基本でした。料理人をずっとやってきて、で、店長になりました。でも結局元来その人は職人気質じゃないですか。それが運営をするとは、正直「えらい店になっちゃってるな。」というのが最初の印象で。これはホールサービスとか店舗、現場運営をかなり軽視しているなと思いました。サービスの重要性、「伝えること」がいかに大切な価値のある作業か。自分がそこに入れば売上はかなり伸びる、もっといいお店になる、いい人材がつけられる、お客様の信頼も得られると、絵が見えていました。その考えを上司に伝え説得して、サービスに入らせてもらいました。当時そんな事を言ってくるような人はいなかったので、通常ではあり得ないことだったんですが、上司がそのスポットに置いてくれました。23歳の頃でした。

 

 

 

 

 

 

運営で形に。結果の累積で、考えは「会社のスタイル」となる。

 

自分の考えていた「サービス」「伝える」という現場の、その重要性を知らしめるために上司がスポットを作ってくれたので、そこから本格的に運営に入って行きました。料理は美味しい。それを売る、伝える。どうして自分たちが「これ」をやっているのか。それを「運営」で形にしていき、結果という累積を作っていきました。そのうちその考えは「会社のスタイル」として確立され、自分のようなスポットの人間を、会社でも意図的に採用して行くようになりました。

 

 

 

 

「極める」作る、伝える、そして素材を。

 

作るから「関わる」。作るを極める、伝えるを極める、そして素材を極める。運営を極めていく過程で、自分の関心は原点の「食材」へと移行していきました。黒板メニューに、三陸産の生牡蠣とか、何処どこ産の何々牛など、いちいち産地を書いて作ってたんですが、「あれ、野菜は?」ふと疑問が湧いてきたんです。10年前くらいですが、当時「青山でバーニャカウダが流行ってるらしい」と聞き、食べに行ったことがあったんです。出てきたのは「無味無臭の野菜」で出来たバーニャカウダ。「え、これが流行ってるの?」って思わずなりました。その当時、野菜を作ってる農園を紹介しているようなところはほぼ無かったんです。野菜って何でこんなに軽視されているんだ?頭の中が「肉、魚、ん?野菜は?」ってなりました。バーニャカウダ、流行ってるので表面的に皆やるんですけど、え、こんなの誰が喜ぶんだろう?っていうのが実情でした。そんな気づきもあり、店の経営とはまた全く別で「誰にも縛られずのんびり暮らす」という生き方に対し、ある種の憧れを持っていた仕事に「農業」があり、そこに再び関心が戻るタイミングとなりました。

 

 

 

 

 

 

ちょうど、勤めていた会社も3年目に入り、自分の吸収できるものは無くなってきている、自分の仕事もルーティンになってきているな、と感じる事が多くなってきていたところでした。そんな折、農地を借りられる話が舞い込んできて、「お店はまだ先でも出来る!その前にまずは1回農業で食べていけるか、野菜を作ってみたい!」そう思い立って退職しました。26歳でした。ちょうど2011年の震災があった3月でした。さっそく農地のある埼玉に引っ越しました。

 

 

 

 

あるのは好奇心のみ。「耕して種を蒔けば、出来るのかな?」での農業デビュー

 

中野さん:

今までお店を出すにあたり、意外と計画的に場を積んでいって行ったのに、農業はとても突発的だったね!どうして研修を積まなかったの?

 

安生さん:

いや、その考えが全く浮かばなかった!もうあるのは好奇心だけ、全く何も考えてなくて、「耕して種を蒔けば、出来るのかな?」って(苦笑)。

 

中野さん:

って言うかあれか!研修して就農するという流れがある事を全く知らなかったんだよね、きっと。飲食店の独立までの流れは、モデルケースが沢山身近にあるから分かりやすいけど、確かに農業って始めようと思った時に、その絵が想像できる知識も情報もあまり身近にないですもんね。

 

 

 

ぎりぎり食べていかれない。規定数で就農不可。「自分のお店」を持ちたいという夢が、「農業を続ける為の術」に変わる瞬間。

 

安生さん:

最初に借りた農地は耕作放棄地で、何年放置されたかもわからないくらい放置されていたので、土が岩みたいで(笑)。でも雑草が本当に深い緑で凄く元気でした。もう何でも検索できる時代だったので、調べて、本を読んで、4月だったんで、まず一斉に種を植えました。で、最初に出来上がったのはカブやラディッシュ。「めっちゃうま!!!」、それがびっくりするほど美味しかった。もう既に全然違うじゃん!と初収穫から美味しすぎて、「これ、速攻売れる!」と、すぐに準備を開始。代々木で開催される「アースディマーケット」に問い合わせ、面接をして出られる事となり、2011年の冬から出店しました。結果は厳しいものだった。経験の浅い自分達ではとてもではないけど、オーガニックのこの老舗マーケットに軒を連ねる農家さんたちのように、計画的にかつボリュームで野菜を用意するノウハウなど無く、軒先で集めた砂利を土鍋に入れて作った石焼き芋くらいが唯一の売れ筋。1万ほどの出店料が自分たちには大金すぎて、継続はできませんでした。仕方なしに、いろいろな知人にお願いして、オフィス街やショップの軒先を借りて出店したり、飲食店出荷をして2年ぐらい繋いでいきましたが、ぎりぎり「食べていかれない状態」から、結局抜けられませんでした。

 

当時は地主さんから土地を借りてそこで野菜を作り、生計を立てているだけだったので「就農」を考えました。条件は揃っていたのですが規定数が限られていて、申請虚しく期間未定で就農不可。農家になりたい人の新規参入の枠はとても狭き門でした。農業を続けるためにはもうお店をやるしかないな。農業を続けるためには、お金を作る基盤を変えるしかないな!就農できず、準備金もなかった。どうしたら続けられるか考えて、継続するには「お店」をやるしかない!となり、すぐ物件を探して「CHATEO(チャテオ)」をオープンしました。「自分のお店」を持ちたいという夢はいつしか、「農業を続ける為の術」に変わってました。

 

中野さん:

運営の経験があってこその発想ですよね。あの時の安生くん凄い自信でした!お店やるんですよ!上手くいくのは決まってるんで!って。目的や絵がはっきりしてるからこそ言える言葉ですよね。凄いです!

 

 

 

「これは一生やめてはいけない仕事だ。」農業は人の見える景色を、すっかり変えてしまう仕事。

 

安生さん:

農業を始めて一番最初に思った事が2つありました。「昔の人凄いな」と「一生辞めちゃいけない仕事だな」って事です。作業を始めてすぐ思ったのが、「これ全部手でやってたの?」という疑問に誓い感想でした。

 

中野さん:

やばいよね。僕も同じくらいの時期に農業を始めたんですが、体力に自信があったはずですが、「これ、終わるのか?」っていう作業ばかりで。

 

安生さん:

やばいよね(苦笑)。だけど「これは一生辞めちゃいけない」と思った。なぜかというと、自分の見える景色がもうすっかり変わっていたからです。例えば街を歩いていても。ものの価値観も、見方も、金銭感覚も。もう、ありとあらゆる感覚が変わってしまったんです。

 

 

 

 

例えばですが、芋虫に食べられて収穫直前に野菜が全滅したりして、「半年失ったわ…。」とかよくあったので、最初はモンシロチョウを捕まえていたんです、野菜を食べる悪者扱いで。でもふと、モンシロチョウは悪くないんだよな。食べているのは、芋虫の時だし、何やってるんだろうとか。一日かけてやった作業が、次の日の雨でダメになるなんて日常茶飯事で、怒りというより虚しさがこみ上げてくる状況です。人間ってなんてちっぽけなんだろう…って。

 

除草剤をまいているネギ農家さんのネギも、虫を丁寧に積んでいるネギ農家さんのも、全部一緒に合わさって出荷されるのを見て、「これ、自分にどれが当たるのかわからないってことか。く、食えないな…。」もっと自分が頑張らないと…とか。

 

無農薬で育てるにあたり色々壁にもぶち当たり、でも近所の農家さんに聞いてもなかなか対策を教えてもらえなくて、気持ちもだんだん落ち込んでいくんです。でも農家さんを回っているうちに、意地悪で教えてくれない訳ではなく、「知らないから教えられないんだ」と気づいたり…。農協の指導に沿ってこの時期にこれを撒く、新しい除草剤が出たからこっちのほうがいいよと言われて使うなど、言われた事を組みたてていくのが主流なので、わからない人も多いんだという発見もありました。

 

 

 

 

 

ナスが上手に育てられた時に近所の農家さんから、どこの苗を使っているかを聞かれた際、種から作ってると答えると「え、種から?」と驚かれて「え、種からじゃなかったら、ど、どうやって作るんですか?」というような会話をしたこともありました。

 

とうもろこしを隣の町で上手に作っている無農薬農家さんに、虫をつけず上手く作るなら、アワノメイガが大量発生する前に収穫できるスケジュールで育てるなどの栽培方法を教えてもらい、実際にすごく上手く作れたことも。独学で四苦八苦しながら農業をやっていました。

 

 

 

 

 

カブで始まった安生さん、じゃがいもで始まった牧人さん。嬉しい出会い。

そんな試行錯誤の中、出店先で牧人さんに出会いました。27歳の頃でした。出店先から少しずつお声掛けいただくことも出てきた時期で、自分だけの収穫では足りないと感じていたところでした。出店のお声掛けをもらうとお互いに連絡を取り合い、一緒に出店するようになっていきました。同じ境遇の仲間に会うことが少なかったので、歳も規模も近く、作って育てている品目もすごく似ていて本当に嬉しかった。「話せる人が来た!」って。

 

中野さん:

同じ絵が見える人がいて、もっと楽しいこと一緒にできるかも!って思える出会いほど嬉しいものってないですよね!

 

安生さん:

本当に「一人」だったんで。「知り合い」が誰もいなかった。余所者で若かったし、村八分みたいなものに合ったこともありました。

 

中野さん:

安生君より2年ほど前に農業をはじめていたのですが、ちょうど、一緒に畑を始めた相方が抜けて、畑から「外」へ目を向けないといけない時期に、安生君と出会いました。

 

僕は社会学、情報コニュニケーションに関して勉強していました。就活セミナーを受けてグループワークに興味関心を持った事もあるけど、興味を覚えた出版社などにいざエントリーシートを書こうとしても、どうもやる気がしない。ちょうどそんな時に耕作放棄地の話が来て、僕は「じゃがいも」を植えました(笑)。

 

安生さん:

じゃがいもも植えたんですけど、結果が出るのはカブのほうが早かった(笑)!

 

 

 

 

 

 

中野さん:

でも、スタート時の精神年齢が僕と安生くんとでは全然違いますね。安生くんは始めた時から食うことを意識してた。自分はただやってみただけ。電卓を叩いたらもうはっきりと数字で「やれない」ってわかっちゃうと思ったので、最初の3年は、計算しなかったです。無意識でしたが考えないようにして、週4バイトして、週3で畑をしていました。…なかなかtablebeetの話までいかないね(笑)。

 

高校生の時に「ホリエモン」「村上ファンド」「JCOM株」とか、デイトレーダーがもの凄く流行り、それが社会の勝者、一躍時代の寵児と持て囃されていた時期です。僻み根性もありましたが、数字をいじっている人が一番稼いでいて、一番尊敬を受けるのって何か可笑しいだろう!って腑に落ちず。そんな事を学校で机に伏せながら考えてました。僕は授業中ずっと伏せながら1限目から6限目まで寝たふりして考えていたような子だった。伏せながら、「うーん、一番欠かせない仕事って何だろう。一次産業かな。一次産業って、考えて見たらとてもすごいじゃん、偉いな、大切にしないとだ!」って思うようになっていきました。

 

安生さん:

それ、俺と全く一緒ですよ。退屈でずっと寝てました(笑)。

 

 

 

 

 

「農業ってクリエイティブ!そして物凄く科学的で知的!ただただ面白い!!!」

 

中野さん:

ピースボートに乗ったのも影響が大きかったかもしれないです。超フリースタイルの変わった大人に沢山出会えたので。定職につかず幸せな人、冒険家の人など本当に様々で、40代で自由に活躍している人たちに会い、人生何でもありなんだな!そう思って大学に行きました。この頃はもう安生君はお店で店長として経営をみていたんですよね。凄い。

 

大学は社会学を専攻したんですが、国際問題で貧困を扱うゼミに入ったんです。でも正直、全然面白くなくて。「もう少し面白くしたいね!」という話になり、何人かで「海外にフィールドワークに行こう!」となりました。行き先をベトナム、テーマに生ごみを選んだんですが、調べていくとたまたま生ゴミの堆肥化の技術があると知り、その堆肥化の有名な人が三重にいて、堆肥育土研究所の橋本さんっていうらしい!となり。勉強したらそれがもの凄く面白くて、クリエイティブで!農業って物凄く科学的で知的な作業で、社会とつながっていて面白い仕事なんだな!って衝撃をうけました。

 

就活が息詰まった時期と、堆肥の技術を覚えた時期に、耕作放棄地の話をもらい、タイミングを計ったかのように全てがいっぺんに舞い込んで来たので「じゃ、やろっ!」って。それが24歳、大学4年の1月くらいです。友達の親戚の土地だったんですが、一緒に草刈機を買って草刈りから始めました。40年くらい放棄されていた農地で、葦が青々と育って土に到達できないほど厚く積もっていていました。土は気持ちいいくらい「やわやわ」でした。

 

 

 

見て感じて来たものが一緒。同じ感覚で同じ方向に向かえるのが「同世代」。同世代だからできる感覚や価値観の共有、その魅力と可能性。

 

中野さん:

やって行って見えてきたのですが、同じ時期に同じ考えで就農している同世代が、見渡すと周りにも結構いることに気がつきました。「俺だけじゃないんだぁ」と、オンリーワンでないことが最初は嫌でしたが、同世代で見て感じて来たものが一緒で、そういう風に同じ感覚で同じ方向に流れて行ったんだと、同世代での感覚や価値観の共有が秘めている力に気がつき、「ハッ」としました。昔の仲間に会って、同じような仕事をしている人に出会うことも増えていきました。

 

安生さん:

自分もCHATEOを始めてから、同世代で同じような境遇の人と繋がる事も増えてきました。農業の悩みを話しに来てくれる人など。同世代の同じ感覚の牧人さんにこのタイミングで会えたのは本当に嬉しかった。お店を始めると、栽培量がどうしても落ちるので、牧人さんの畑の野菜も使わせてほしいとお願いし、今まで持っていた野菜の販路も野菜を届けられなくなるので引き継いでほしいとお願いしました。

 

 

 

 

中野さん:

それはもうCHATEOは大口の取引先さんですよ!CHATEOは、使う野菜の量が尋常じゃなかった。明らかに野菜にコストをかけると言う意思がしっかりしていた。CHATEOの3倍の規模のお店より、ずっと多くの野菜を使っていました。自分の野菜を使ってもらって、一番気持ちが良いお取引先さんでした。あと、野菜の事を分かっている人とお話ができるのは有り難かった!野菜の味や食感など、細かい野菜の背景を伝える会話ができるし、それをお客様に伝えてもらえるお店だったのは、野菜を納める側として凄くよかった。

 

 

 

 

<PART 2>に続く。