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私たちの街創りby Abiko A-life

2019年10月17日

海のものが本当に好きなんです!海鮮処「いわい」

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手書きの看板や掲示物。以前勤務していたスタッフの置き土産で小上がりの奥の方でスタンバイしている赤いクロックス。欠けて金継ぎを待つ戸棚の沢山の器たち。岩井さんをサポートしようと「控えている」わりに、皆気持ちが溢れているのでとんでもなく目立っている。目を凝らして見ると、店内あちこちに「岩井さん」を愛する人たちのかけらが見つかる。また同様に、我孫子の人を大切に思う岩井さんの優しさが、少し不器用にはにかみながら点在している。美的な感覚でいうと、決して「良し」とは言われないだろう、愛情のかけら達が、「いわい」の店内に、実家のような居心地の良い空気を漂わせているのかもしれない。アットホーム。兎に角、足が向いてしまうあったかい不思議な海鮮処だ。

 

 

「いわい」のオーナーシェフ、岩井勉さんは、とにかく我孫子と「縁」があるようだ。人の紹介でご縁あって、北口駅前にある「備前」が経営する、寿司屋「桜田」に勤めていた。そこで知り合ったお客様と晃南土地の中澤社長がつながっていたことがきっかけで、今のお店の出店話へとつながっていった。

 

海鮮処「いわい」は2012年3月14日、震災のちょうど1年後にオープンした。岩井さんは、震災当日も我孫子にいた。勤めていた寿司屋(鮨や)「桜田」は、営業ができないほど店内が崩れた。当時下の子がまだ奥様のお腹にいたので、慌てて自宅のある白井に帰宅するも、白井は地盤がしっかりしていたおかげか、全く揺れは届かず被害は無かった。ガスもつかない、水も出ない、営業が全くできない状態のお店とは裏腹に。ホッとして、お店の復旧に戻ったそう。

 

 

そう、岩井さんは「白井」の人なのだ。

実家は白井、駅前で三益寿司という寿司屋を営んでいた。生まれてから、ずっと魚料理が家庭の真ん中にあった。海のものの扱いは、幼い時から自然と身についていった。実家の寿司屋は駅前の繁盛店だったので、できることは手伝わされた。洗い物や子供でもできる海老の皮むきなど、簡単な事ならなんでも手伝った。中学にあがる頃は、魚の大抵のことは知っていた。

高校を卒業と同時に、料亭「花長(はなちょう)」に修行へ。残念ながら2代目が体調を崩したことが理由で2017年11月に閉店となった「花長」は、千葉市に住んでいる者なら誰でも知っている老舗日本料理店であり、政財界のファンも多くいた名店であった。そこに岩井さんは6年身を置いていた。

 

 

花長での修行を共にし、その後仕事も共にした先輩とは今でも親交があり。彼のついだ実家の民宿に、我孫子の仲間たちと子供たちを連れて、海を満喫しよう!と遊びに行ったりと、良き関係が続いている。

 

花長で経験を積んだのち、親方の紹介で赤坂のホテルニューオータニに4年。その後、親方同士のつながりで都内ホテルを転々とし、懐石料理からお寿司まで、和食全般を、伝統を重んじつつも型にはまらないスタイルで柔軟に料理を手掛けていく、今の「いわい」流が出来上がっていった。

 

親が身体を壊した際に、実家の店を継ぐ話もあがったが、当時働いていたホテルも人が足らず、当然すぐに動くことができなかった。そうこうしている間に駅前の好立地な実家の寿司屋はすぐさま別の飲食に貸すことが決まり、実家を継ぐという機会は巡ってこなかった。鮨を親から習ったのを皮切りに、その後実に18年。様々な厨房で修行を重ね、独立。ご縁あって、ここ我孫子の地で、根をはる事に決めた。

 

毎日気軽に、最高の海鮮を。

店を「海鮮処」とした理由を聞いた。実家を見ていても、「桜田」のような、生粋の「鮨や(寿司屋)」に勤めていた時にも違和感を覚えていたという。寿司屋や老舗料理屋のように、行事ごとやおめでたい時は足を運んでくださるが、普段から気軽に来てくれる場ではない。少なくとも「鮨」の冠がつく店は、自分の作りたい場所とは違うと理解していた。「特別」という形容詞が付いてしまう店は、自分の思い描く料理とは合わない、そう思っていた。海鮮をメインにした、デイリーに入りやすく、気軽に食べに来ることができる「身近」なお店を作りたかった。創作も、煮たり焼いたりもする。言ってくれれば寿司も握るし、魚を楽しんでいただけるなら何でもする。そんなお店を想像していた。そうして海鮮処「いわい」が誕生した。

 

 

 

我孫子大家族の仲間入り

ご縁あって我孫子に店をオープンした岩井さん。我孫子の魅力を聞いてみた。手賀沼もあり、自然がとても身近。住む環境、子育ての環境には最高だと思う。何より本当に我孫子は「いい方」が多い。料理の仕事なので、ご来店やご注文が重なったりすると、お待たせするようなこともある。東京のお店では、往々にしてクレームにつながるようなこうしたシチュエーションでも、我孫子は皆さま「いいよいいよ」とお声掛け下さる。兎に角お客様が優しくおおらかだと言う。

 

 

覚悟を決める。誠意をもって支える。我孫子人情劇。

我孫子で意を決し、自身の商売をやり始めてからの変化も大きかったと言う。お客さまとしてだけでなく友人としても家族ぐるみでおつきあいするような出会いに恵まれるように。公私にわたり支えてくれる方々につながっていったそう。

 

独立し、知らない土地に開店する。孤独で勇気のいる決意でしたが、根をはると決めた大地に恵まれた。根ざした「我孫子」は、地元愛に溢れ、愛情深く人情がある街だった。知り合いが知り合いをご紹介してくださり、仕事を超えて仲良くなっていく。「繋がり」が広がっていくのを実感するたびに、我孫子を心から愛されている方、大切に思っている方が本当に多いことを実感する、と岩井さん。

 

同じ我孫子でも、桜田で「お勤め」をしていた時は、こうした公私にわたるお付き合いをするような知り合いができる機会は全くなかったそう。独立し、自らここで商売を始めるようになり、我孫子の皆さまが我孫子の輪を自分にもかけてくれて、本当に支えてくださっている。

 

 

同世代で活躍している仲間にも沢山出会えた。
自分は元々白井の人間で、地元の者では無いのに、同年代で出身が白井(よそ)だと知ると、「仲間を紹介してあげるよ!」とすぐに沢山の地元の仲間を紹介してつなげてくださった。それだけではなく、仕事での集まりや家族の行事など、折々に店をつかってくださり、そこからまたどんどんきっかけやご縁を繋いで力になって下さる。行事ごとに沢山の家族が集まり、子供達もそこで出会いを育む。新しいお友達ができるので、娘も凄く喜んでいる。今は白井に暮らしていますが、「我孫子に越しておいでよ!」と皆に言われるので、子供が大きくなったら越してくるかも(笑)

 

我孫子の人にお料理で尽くす。我孫子で企業する。真剣な決意と街に還元したい真摯な思いに、我孫子の人たちは同じ以上の思いで答えてくれる。我孫子はそういう街です。我孫子にお店を開けて本当に良かったと思っています。

 

良き「渦」の始まり。

商工会の青年部にも参加している。
部長を務める晃南土地の中澤さんもよく言ってるが、青年部という活動は勿論参画するメンバーでやっている活動ですが、でもその「野郎ども」だけでつながっていってもそれは決してその活動の本質には到達し得ない。青年部という、自分たち世代。若い世代での活動。せっかく地域のために、若手で盛り上がって行くのならば、「家族」という大きな輪でつながって我孫子を盛り上げていきたい。それって、すごい力で無限ですよね!市もきっと動きますよね!(笑)」と熱く語る岩井さん。

 

繋がりや活動が「家族の単位」で広がり、輪が「家族」「コミュニティ」になってこそ、初めて地域が真に活性化し、盛り上がっていくというもの。どうやらこの海鮮処の中で、我孫子の良き「渦」が生まれているようだ。

 

 

 

魚は全て天然にこだわる。養殖でない、大海原でいきいきと育った魚介を、昔からご一緒している、信頼の置ける方にお願いして仕入れをしている。

 

 

 

 

柏の市場など近隣市場で手に入らない食材は、豊洲からも引っ張ってもらう。野菜など他の素材も、季節の旬な食材を使う。とにかく魚を最大限楽しんでもらえるためなら何だってやる。それがいわいのこだわりだ。

 

 

予約でいっぱいでない時は、常連さんたちは素材の同じ食べ方だけでは飽きてしまうので、例えば鯛だったら、土鍋料理、鯛飯、パスタ、しゃぶしゃぶ…創作で思いつくメニュー、なんにだってする。

 

 

常連さんのリクエストに答えてあらゆるアレンジでお料理が出てくる。常連にはたまらない。いわいの常連客になるということはつまるところ、海鮮料理で最高の腕をもつシェフを、密かにお抱えで持っているようなものだ。岩井さんの心意気を知ってしまうと、常連にならずにはいられない。

 

 

 

器も作り手の思いがこもった陶器を

お皿にもとてもこだわっている。お皿は陶器しか使わない。しかも、作家に依頼して作ってもらったオーダーメイドの作品のみ。とても大切に使っているので、かけてしまったものが、金継待ちで棚に並んでいた。

 

 

現在海外の個展などで引っ張り凧の人気陶芸作家「尾崎髙行」のものが店内で贅沢に使われている。並んでいた皿に目が行き、質問しない限り本人の口からこだわりとして語られることのないこうしたディティール。語るべきは「魚の鮮度」「魚という素材をいかにお客様に喜んでいただけるか」のみ、と徹する姿勢に、多くのファンがいるのであろう。

 

 

 

取材中に、お会計ついでに上品なマダムが岩井さんにこんなお声かけをされていた。

 

マダム:「孫のお誕生日のお祝いをしたいの。何かできるかしら」
岩井さん:「何でもしますよー、ご希望仰ってください。予算でも料理でも、お子様の好き嫌いでも。どんなリクエストでもやりますから!」

 

納得。この岩井さんの心意気。知ってると、通わざるを得なくなる。

 

 

お客様のお声かけに便乗して、どのような無茶振りリクエストにお答えしたことがあるか聞いてみた。

「晃南土地の中澤さんなんかはいつも無茶振りです(笑)突然きて、突然とんでもない注文を入れてきます。「白子茶づけー」とか言いながら、ぷらりとくぐってきます。(笑)」

 

会えばいつも学生のようなノリで会話がはずむ二人。(写真左:晃南土地の中澤社長 右:岩井さん)

 

中澤社長の無茶振りの真意、ご本人に聞いてみた。

「季節の旬な食材をいただくのが好きなんです。岩井くんは、いつもそうした季節を感じる素材で美味しい食事でワクワクさせてくれるので、期待と好奇心、愛を込めて無茶振りをしています(笑)。」

互いに信頼を寄せている仲だからこその答えが戻ってきた。

 

 

七五三や入学、卒業祝いなどお子様のメニューも、お子さまの好みや喜んでくれる内容を伺って、エビフライやハンバーグ、チャーハンも作ったことあります。兎に角喜んでいただけるなら、何でも作ります。お昼も基本ランチですが、お時間頂ければ、グランドメニューからでもご注文いただけますので、お昼から「お酒飲みたいんだけどー」、とさしみ盛りなどを頼まれる常連さんも。

 

何という。我孫子にいて、常連にならないということは正真正銘、勿体無い。取材を終えた晩、興奮冷めあがらぬ私は、息子と我が家のルールに以下を追加した。「今宵から我が家の冷蔵庫から魚はいなくなるぞ。魚を食べたくなったら、最高の魚をいただきに行くぞ、いわいへ。」

 

 

営業時間:昼11:30-14:30 / 夜17:00-23:00
定休日:火曜日
住所:〒270-1151 千葉県我孫子市本町1-1-10
電話:04-7185-5400
Instagram:iwachan555

 

 


 

聞き手/ 編集  : 大坪祐三子